今日のグローバル化した世界の資本主義は、飽くなき成長を求めて終わりのない「不死」の運動のように見える。科学や医療技術の発達は人間に多くの恵みをもたらしたものの、一方では「老・病・死」の現実を覆い隠し、人間としての「生」はどこかやせ細っていくように思われる。人間は、「老・病・死」が 自分の身に関係していることを知っている。しかし、元気で健康なうちは、それをひとごとのこととしてすませている。
がんになって初めて自分の残りの時間を深く思うようになった。残りの時間を深く感じると、感性がより鋭敏になって、日常の出来事が非常に愛おしいと思うようになった。
(鳥越俊太郎氏/月刊『同朋』2009年11月号より)
人間であることの限界と無力さ。そのことに気づくこと以外に、人間をとりもどす道はないのではないか。「自己責任」「孤立死」という言葉に象徴される社会。人間は他との繋がりを見失い、自己そのものを喪失しつつある。それは人間に対する過信、自己に対する過信がもたらしたものではないのか。
私たちは、「苦」の現実の中で、「苦」を避けるのではなく、まず、「苦」と向き合うことから始めなければならない。
宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌を記念して開催される「第4回親鸞フォーラム」では、「人間・死と生を見つめる―今を生ききるために―」をテーマに、有識者と仏教者のシンポジウムをとおして、私たちは何を真実の依り処として生きるのかを一緒に考えていきたいと思います。












