東北地方太平沖地震、並びに、大津波による災害、そして福島第一原子力発電所の事故は、日本のみならず世界を震撼させた。一年が経とうとする現在も、原発事故による放射性物質の拡散は依然として続き、大地や水、空気を汚染し続け、誰もが不安の中で、己の無力さを痛感し、ただ事の成りゆきを見守っている。
「かなしきは 飽くなき利己の一念を 持てあましたる男にありけり」(石川啄木)
思えば、今日のグローバル化した資本主義社会は、飽くなき成長を求める終わりのない運動ではないだろうか。個としての人間は、そうした時代の大きなうねりの中で翻弄され、あまりにも無力のように思われる。飽くなき成長へと駆り立たせる根には何があるのか。現代を生きる人間は、その立ち止まることのない方向性の中で、科学技術によって自然から自立しようとすることで、孤立感や孤独感を抱き、生きていることの不安感を募らせている。
今世紀最大とも言われる激甚災害は何を私たちに語りかけているのか。出口の見えないこの悲しみのただ中で、私たち人間は何を学ぶことができるのか。「飽くなき利己の一念」を「かなしみ」と受けとった啄木の仰ぎ見る彼方に、人間のかすかな希望が託されているように思われる。
「第6回親鸞フォーラム」では、有識者と仏教者のシンポジウムをとおして、あらためて人間存在を見つめ直し、私とは何か、生きるとはどのようなことなのか、その根本問題を問い直す。













